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プロ経営者のリアル ~プロ経営者からオーナー経営者の道のり~

※こちらは2026年3月19日に視聴希望者限定で行われたイベントのアーカイブ記事です。

一般社団法人 日本プロ経営者協会(JPCA)は、日本に多くのプロ経営者が生まれ、活躍するためのエコシステムを創出し、活力あふれる日本をつくることを目指して設立されました。

日本では、年功序列やジョブローテーションの構造上、「経営者になるまでの筋道」や「経営の機会」に若い世代がアクセスしづらいのが現実です。

一方で、超高齢化に伴う事業承継問題は深刻化しており、優良な中小企業ほど、意欲と実行力を備えた”経営人材”を求めています。

JPCAでは、こうしたギャップを埋めるべく、プロ経営者の働き方やキャリアの具体像を、実例とともに発信しています。

今回の連続企画ウェビナー「プロ経営者のリアル」では、2026年3月19日(木)に「プロ経営者のリアル ~プロ経営者からオーナー経営者の道のり~」を開催しました。

ゲストとしてお迎えしたのは、株式会社コミュニティセンター 代表取締役の中川 弘規氏。

損害保険会社を経てオリックス株式会社に入社し、営業部門、社長室、経営企画部門の課長を歴任。

M&Aやグループ再編、投資先企業10社のPMIを主導した後、連結子会社の経営執行を5年間担いました。

2020年、投資ファンドより招聘され株式会社コミュニティセンターの代表取締役に就任。

2023年には、LBOローン(フルローン)で調達、MBOを実現、100%株主オーナー経営者となりました。

本ウェビナーを通じて、プロ経営者からオーナー経営者の道のりについて学んでいただけます。

堀江大介:皆さん、こんにちは。日本プロ経営者協会の堀江です。

今参加者の方が集まってきています。

もう少しで始めますので、もう少々お待ちください。

では時間になりましたので始めさせていただきます。

日本プロ経営者協会の堀江でございます。

本日は2ヶ月に1回でやらせていただいているプロ経営者協会のウェビナーですね。

本日のテーマは、プロ経営者のリアル、プロ経営者からオーナー経営者の道のりということで、プロ経営者からご自身で創業せずにオーナー社長になるという新しい発見もあると思いますので、是非楽しんでいただければと思います。

最初に注意事項の説明です。

こちらは録音録画禁止となっておりますので、それを前提でご登壇いただいております。

皆さんお気をつけくださいませ。

そしてご質問があればいつでも受け付けております。

画面下部のQ&Aにご記入ください。

最後にQ&Aの時間がありますのでそこでまとめて回答させていただきます。

ただ、最後に書こうと思うとだいたい忘れちゃいますんで、気になったことがあればその場で書き込んでいただき、私最後ピックしますので。

そしてウェビナー中に何か配信トラブルがあれば、これはチャットの方に全てのパネリスト宛でお知らせいただければ、スタッフの者が対応させていただきますので、よろしくお願いします。

繰り返しになりますが、録音録画禁止ですのでお気をつけください。

中身に入っていきたいと思います。

最初からいつも通りJPCAのご紹介させていただいて、その後、中川さんにお越しいただいてますので、お話をお伺いしたいと思います。

そしてQ&Aが10分、15分ありますのでそこで質問をお伺いいたします。

日本プロ経営者協会は、日本にプロ経営者が活躍するエコシステムを作ろうということで始まった団体でございます。

2019年に始まって、気づけばもう5、6年になります。6年になりまして、会員も2,000人近くになっております。

活動内容は大きく3つございます。

一つは、今日がまさにそうなんですけども、まだまだプロ経営者というものの全容が日本だとまだ学べるところが少ないので、研修であったり、ウェビナーという形でプロ経営者の働き方、なり方、活躍の仕方、これをリアルとオンラインのウェビナーを定期的にやらせていただいております。

二つ目、プロ経営者の案件紹介ということで、具体的にプロ経営者がファンドとした社長案件が多いんですけども、そういった案件がプロ経営者協会に入ってきます。

それを皆さんに共有するという活動をしております。

日本プロ経営者協会はFACEBOOKコミュニティを運営しております。

日本プロ経営者協会で調べていただければすぐ出てきますんで。

ここ入ってると、こんな感じで特定できない形でこういうプロ経営者案件が入ってきましたので、興味ないですかという形で投稿させていただいて、興味あるよということで手を挙げていただければNDA巻かせていただいて、詳細をご説明という流れになります。

メルマガで案件を紹介することもありますが、ここ一番わかりやすいところで、ぜひ日本プロ経営者協会でfacebook検索してコミュニティに入っていただければと思います。

無料ですので、ぜひ皆さん入ってください。

最後にサーチファンドって昨今流行ってますけども、サーチファンドそのものではないんですが、サーチファンド的な機能があるというふうに認識いただければと思います。

みなさんが日々お仕事されてると、うちの会社継いでほしいとか、あるいは親戚で次の社長いなくて困ってるとかですね、そういうご相談を聞くことが一生のうち何回かある気がしますので、その時によかったらプロ経営者協会に持ち込んでいただければ、その持ち込んでいただいた方が社長をやっていただいても結構ですし、持ち込みいただくだけでも結構です。

持ち込んでいただけたら、僕の方でプロ経営者と、あと資金の売却意向があれば、ファンドだったり、何らかの買収企業をご紹介して、経営と資産の承継、両方サポートさせていただきます。

皆さんが社長になる場合は、もちろん報酬とストックオプションだったりってことで金銭的なメリットございますし、皆さんが社長にならない場合は案件をご紹介いただいたということで、M&Aの仲介手数料という形で譲渡額を数パーセントお支払いするということをしてます。

是非何かあれば、持ち込んでいただければと思います。

これは一部なんですけども、プロ経営者協会を始めてからですね、かなりの数の成約が出てまして、売上規模として小さいところだと5億から、大きいと100億ぐらいの規模の案件が決まってきております。

経済条件のところにベース給とストックオプションって書いてあるんですけども、プロ経営者協会でご紹介したり、マラトンキャピタルで投資をした案件に関しては、ベース給与プラスストックオプション、このくらいでですね、10%ぐらいのものを付与してるケースが多いので、リターンも普通の案件に比べるとかなり多いと思いますので、ぜひチャレンジいただければと思います。

ということで前置きはこのくらいにさせていただいて、本題の「プロ経営者のリアル プロ経営者からオーナー経営者への道のり」ということで憧れる方も多いんじゃないかなということで、中川さんにお話を聞いていきたいと思います。

では、中川さんよろしくお願いします。ここでスライドをバトンタッチさせていただきます。

中川 弘規氏:中川弘規です。

ご紹介いただきました中川ですけれども、このような機会をいただきまして、少しでも皆様の参考になればという思いです。

私も今54歳ですけども、48歳まではサラリーマンでありましたし、プロ経営者の道に48までには会社を卒業してなりなよと言ってくれた知人がリクルートグループの社長をやっていた大先輩なんですけども、アドバイスのもと、もともとは45で辞めていこうと思ったんですけども、当時やっていた連結子会社の経営思考が楽しかったんでギリギリの48まで入ってしまって早6年経ちますけども、だいぶいろんな意味でプロ経営者からオーナー経営者になるという、当初から目指していたわけではないんですけども、様変わりしてきたこの6年についてをご紹介させていただきながら、日本における事業承継という技能ある取り組みが少しでも進めばいいなというふうに思っております。

簡単に目次ですけれども、自己紹介を追加でさせていただいて、自分の代表的というかM&Aに関わる関連記事の紹介と、あとこの6年間について、あと6年の中でMBOについては少し丁寧に、その当時考えていた私の頭の中をご紹介したいなと思います。

目次

登壇者のご紹介

中川 弘規氏:自己紹介ですけども、社会人最初2年半は損保におりまして、金融自由化もあり、将来経営者になるためにはもっといろんな経営経験をしたいということで縁あってオリックスに入社し、最初20代は営業、大企業の担当をし、当時は新規事業の立ち上げに関わって、オリックスの一つの関係にセグメントっていうものの事業部門を立ち上げたという経験を30代前半までして、30代の半ばにはオリックスの社長室に行きたいということを、最初宮内義彦さんという経営者が社長でいらっしゃったので、その近くに行きたいという思いで、27の時に手帳に書きながら、35までにいろんな経験と、座学でMBAを取りにいったりとか、会社派遣でしたけども社長室への希望が叶って35で行って、そこからちょうどリーマンショックが起きる前夜、前後に入ることになりましたので、かなり多くの事業投資の経験と、ハンズオンで入っていった先のポストマージャーをさせてもらったり、なかなか夜中に働くことも多かったので、体調を壊す先輩が周りにたくさんいて、その分たくさんいろんな仕事ができた、汗たくさんかいていろんな経験させてもらいました。

上場会社の買収のディール、上場が廃止される会社のディールから始まって、それが自己勘定投資のM&Aの私のデビュー戦だったんですけども、その先には上場会社が3社ぐらいぶら下がっていたり、上場以外の会社も中堅企業、年商10億から20億ぐらいの会社が4、5社ぶら下がっていたりとしました。

そういったポストマージャー並びに、例えばAIGとかSMBCさんとの共同株主経営してる会社、共同投資した会社がありましてね、そういったところのボストマージャーと、一つはTOBとかそういったものも経験して。

イグジットだったんですけど、経験させていただいたり、オリックスグループ連結から連結外しして資金調達するような、リーマンショックの時のとても大きなディールのポストマージャーでSMBCと共同経営したりということで、ポートフォリオ経営をしているオリックスのトップマネジメントの間近で、あらゆるリーマンという荒波をどのように乗り切り、事業会社各々の要は健全な再生のパターンもありましたし、いろんなことを経験させてもらった30代、40代前半は連結子会社の経営者交替というところで、要は株主経営を30代で学んで、40代はそういう意味では事業会社の経営に近いことをさせてもらえたので、会社の経営と、あとは現場のマネジメントと、社員の気持ちも掴みながらという気持ちで、オーナーシップを持った意識で、自分の意思決定をするつもりで48までの間は過ごしてました。

全部自分が社長だったらとか、オーナーだったらって気持ちでやってたんだなというふうに今振り返ると思います。

当時はそんな偉そうな気持ちでやってなかったんですけども、そういった一つ一つのことが今の主軸になってるなと振り返ってます。

全部の執行をできるという感覚になっていたのも、プロ経営者になった時のスタートとしては良かったかなと思います。

例えば大会社との共同事業経営になると、例えば財務がどうだ、経理がどうだ、総務人事、あらゆる会社の経営のコーポレート部門の考え方っていうものを擦り合わせて共同ガバナンスしていくわけですけども、オリックスグループというのはどうやって経営されて、どういうルールの下でっていうのは、もう自分の頭の中の辞書としてこう脈々と積み込んで、望んでいたので、2019年にお話をファンドの社長からいただいて、東京都の事業承継ファンドを運営されているプライベートエクイティの代表者から、この会社社長をやらないかということでお話をいただいた時に、同時に選択肢としてはアメリカの最大のファンドでチーム経営しないかとか、上場会社の執行役員をやらないかとか、少し潰れそうなんだけど小さい会社の社長をやらないかとか、色々とありましたけども、選んだのは自分で全て執行できるこの規模の会社。当時は大体中にいる社員が70人ぐらいで、外で働いているスタッフが950人という会社で、このコミュニティセンターっていうものを選んだんですけども。

マンション管理人の代行業界、当時三位の会社でこれから70歳の方が社長で引退されるのでやらないかという話だったんですね。

それを引き受けようと思ったのは、シニアビジネスというか、労働、深夜の労働を拡大するという意味合いと、あとは事業承継という二つの日本社会における大義があるので、いろんな選択肢の中でこれを引き受けようというふうに、2020年の1月1日、正月に手帳にその年の目標を書いて、2020年の5月に就任しました。三年後にLBOローンを調達できて、マネジメントバイアウトを実現して、プロ経営者から株主、オーナー経営者になりましたというのが自己紹介です。

掲載メディア

中川 弘規氏:それでは次のスライドいきます。

マネジメントバイアウトした時に、東京都の日刊工業新聞、東京都を担当している新聞記者が東京都の投資をしてイグジットっていうのがファーストディールだったので記者が来られて記事になったものが左側ですね。

コミュニティセンターのホームページにはファイルで載せてあります。

代表者メディアっていうところがあるんで、そこにこの記事も載っております。

右側は都、これも東京都の産業労働局の方から事例として取り上げたいということで、去年のちょうど一年ちょっとぐらい前に取材を受けて記事になっておりますので、お時間ある時にご覧いただければと思います。

ファンドの社長もコメントしていたりするので、いわゆるこれからプロ経営者になる方たちの目線と、このディールに対する大義みたいなことが私とそのまま社長とで語ってるというような記事です。

2020年就任1年目(5カ月間100日)

中川 弘規氏:ではコミュニティセンター、2020年の5月から。

九月決算なので1年目就任して100日、大体5ヶ月ですかね。

第1期目っていうのはよく100日プランっていう話がありますけども、当時何したかっていうのを振り返ると、ざっくり言うとここに書いてあることなんですけども、5月、6月で内勤で働いてる社員全員まず面談しました。

私の最大の目的はいわゆる社員たちの要は前向きに望んでいるのかとか、中で色々と抱えている課題があったりとか、この人とこの人はどうのこうのうまくいってないなとか内情的なものも見えますし、本人の仕事の実力も把握できますし、結構30分から長い人だと1時間たくさんいろんなことを。

これをやりたいですっていう人もいれば、愚痴を言ってる人もいれば、いろんなパターンありましたけども、とにかく丁寧に全員面談して、自社の今の社員の感覚による戦闘値判断をしたっていうんですかね。

全部門の会議体をその後設定していくんですけども、最初の1、2ヶ月は、前の社長も1ヶ月半は残ってくださっていたんで。

元々は半年から1年ぐらい残ってくださる予定だったんですけど、顧問で残ってたんですが、45日目ぐらいでもう良さそうなので辞めますということになったんですが、全部門の会議体を設定し始めました。あまり会議体で横串を刺している会社ではなかったというふうに判断したので、社長室というものを設立し、横串で組織連携できるようなということを始めました。

当時、部長とか役員やっている人たちがいたんですけども、主任とか課長陣をどんどん登用して、全員にこういろんな議題を、この議題を解いてみたいなMBA的にいうとケーススタディーを出したりとかして、社員たちの頭の中のロジカルシンキング度合いとかそういったものを、今も続けているんですけど、そこから誰を組織の長にしていくかっていうのを設計しなおしてましたね。

組織のミッションとかあるべき姿って、この部分は何をやってねとか、会社はここ向かうよっていうものもあるようでない会社、はっきり言ってなかったので、各組織、当社で言えばスタッフを採用し研修し、お仕事を取る営業部隊がいて、何かトラブルがあったら現場に駆けつける指導員がいて。間接部門の一通り、広報、人事、総務、経理とありながら、あと関西に支店があってという組織体。

あとコンシェルジュ部隊とか、事業部でいうと新規事業を始めてる部隊があるんですけども、全ての会議体を設定して、私は隔週1つの部隊、隔週1ヶ月に2回参加して、私が仕切るというよりはあるべき姿に向かってるかどうかっていうのを月2回で50分の会議で、終わり5分ぐらい私がコメントしていくんですけども、一歩一歩前進していくようにしてきました。

ビジョン、ミッション、バリュー、GEバリューが私好きだったんで、コミュニティセンターバリューってCCバリューっていうので、これも先程のケーススタディーやってる中で、そういったやる気あるメンバー、課長、部長、新しく据えていったメンバーたちを中心に、で、その人たちを通じてビジョン、ミッション、バリューを一緒に考えてみようよっていう研修プログラムを自分自身で組んで、そもそも行動指針とは何だとかを私がレクチャーしながらGEバリューってのがあってねとか、ソニーはこういうのでねとか、要は世の中で設定してる会社の事例をやりながら自分で考えてみて、この会社にとって必要な事って何?っていうことを問いかけながら、最後に実際に自社のホームページにはっているCCバリューは私が言語化して完成させるんですけど、こういった一つの方向性っていうのを制定し、並びに人事制度、給与テーブルっていうのを大きく変えることとしました。

当時は60歳を終えると61歳からは嘱託なんですけど、ボーナスがなくなったりとか、基本給が3割カットになったりとか、そういうものだったんで、改定したのはボーナスは社員と一緒のように上げるよっていう話と、基本給は下がらないよって話と、あと70以降は社員でなくなってしまって業務委託になる内勤もあったんですけど、75までは社保払えるから社員に戻っておいでっていうふうに変えました。これが1年目です。

2021年就任2年目

中川 弘規氏:2年目、10月以降はSWOT。

自社のホームページもどちらかというと全く充実していない、パンフレットもない状態で、自分たちの会社の扱っている人材というビジネスの中で強み、弱みっていうものが把握できてなかったので、お客さんに私も顔を出して同業他社のことも調べたり、そういった皆様がよく用いられるマーケティングの基本的なところを自社でも展開して、社員たちにも理解してもらいながら、自分たちはここができている、ここは足りないんだとか一緒になって認識していって、それを対外的に示していくということを始めました。

自社のホームページをぐるっと一周するの当たり前なんですけども、毎月毎月コミュニティセンターだよりというスタッフの働き方をずっと紹介していることをやっていたので、それは財産だなと思ってまして、お客様の名刺をたくさん持っていたので、そこにメルマガを毎月配信して、12ヶ月あるので12回発行してるんで、6回は当時は自社のこと、自分たちの会社はこういう強みがあってあるんだよっていうことを展開しようとか、どんどんどんどん社内の仕組みも変えてきましたね。

入って来た社員たちはどちらかというと何かベンチャーに入ったような感覚だっていうふうにおっしゃっていましたけども、当時は27期目だったんですけど、日々何かしら変わっていくというような時でした。

システム、DXに大きな投資を始めましたし、サンクスポイントっていうのは毎月毎月、先程のCCバリューを展開する中で、毎月これやります、今月やったことはこうでしたとみんなでそれを評価してポイントをみんなで渡すっていうような取り組みを始めてるんですけども、自社で決めた、今で言えばパーパスも入っているんですけども、CCバリューやパーパスを展開していく中で、それを毎月毎月体に落とし込んでいくための仕組みとしてサンクスポイントっていうのを開始したり、あと各種表彰制度で社長賞だとか最優秀部門とかっていうのはどこの会社でもあると思うんですけども、業務改善しようとか、各部門のキャンペーン賞、KPIで1番を決めようとかいうので、たくさん賞だけで10個ぐらい、年1回表彰する制度を始めました。

2022年就任3年目

中川 弘規氏:3年目は生産性って言葉を少し使うようにしていました。

各部門課題改善を月2回会議していて、なんだかんだ私が常に全部門、全ての会議でここはいい、ここは何か次やろうぜみたいなことをつぶやいてヒントを与えて一歩一歩進んでいくので、会議待たずに何かぽっと思いついたことは、これも考えよう、あれもやってみようって言って、どんどんどんどん半年後にはどんどんどんどん自分たちが思っている半年後を想像できない感じのスピードで各部門が変化してって時期でしたね。

弱みは全部強みに変えて、同業他社と比較して強みしかない手応えを感じていたので、オンリーワンという言葉を利用しながら広報活動を始めて、お客様、スタッフにもプロモーション活動を始めてっていうことをやってました。

で、片方で2022年は翌年30周年を迎えるので、何かしら30周年の準備っていうものもありましたし、30周年の頃にはこのパーパスっていうものを制定したいと。縁あって有名なアナウンサーさんの本も読んでましたし、教わる機会が2時間ぐらいあったので、そこで学んだことを自社でパーパス制定のための自社研修プログラムを私の方で始めて、志の会っていうのを制定しながら、また社員と一緒にパーパス作るぞと言って半年プログラムをやって、全部門で自社、顧客、社会、いろんな事業でコアコンピタンスを議論しながら、自分たちの存在意義というのを確立していくことを始めていました。

輪の会っていうのは、これは前オーナーの70歳で辞めてた方がコミュニティセンターって会社だったんで、コミュニティの中心みたいな会社名らしいことができてなかったっていう、こう遺言めいた継承事があったのでシニアの労働市場を拡大する当社の要は存在意義に合わせてスタッフたちがこう生きがいやりがい稼ぐだけじゃなくて、趣味の会っていうのを立ち上げようというので、ゴルフとかサークルとかカラオケとかハイキングとか、そういったサークルを今2,200人ぐらいの規模になってるんですけども、当時の倍以上ですかね、その人達に会社の方でマッチングして、皆さんやりたい人を結びつけて、こういった会をやってもらって、少しでも長く働きながら長寿いただきたいと。

よく健康長寿社会が降ってくるみたいな言葉を使ってる人もいましたけども、そんなことを取り組んでおりました。

そんなことを考えていて3年目だったんで、ファンドの考えることをもう少し分かったんですね。

要は事業投資をやってきた私としてはファンドの中にあったんですよ。

ファンドの中でファンドの社長をすり替えているとか、うまくいってない会社に少し手を入れてGP/LPじゃないんですけども、そこをそういうハードランニングのこともやっていたので、ファンド側がどういうことを望むかっていうのをわかっておりましたので、できれば早くイグジットしたいだろうし、ファンドからは次の別の会社の社長もやってほしいという話も出始めていましたが、私はこの会社まだまだ可能性があるしというふうに。

TOKYOファンド、東京都のお金を利用して、中川さんがいろんな会社を兼務しながらファンドの横展開で2社やってもいいですしとか、いろんな話が来てる中でこういう決断をします。

MBO

中川 弘規氏:それは資金調達がかなうのであれば、マネジメントバイアウトをしてみようということをですね。

私(株主)の大義

中川 弘規氏:当時考えていたことっていうのは以下のことなんですけど、私自身がやりたかったことっていうのは短期経営から長期経営って、プロ経営者だと2、3年やってまた次の経営ということで、そういった先輩プロ経営者たちの話も感覚的にすごく腹落ちしてましたし、ただ世の中で有名な経営者、例えば稲盛さんとか、ああいう方たちが書いてる本を読んで、やっぱり私の友人でも江戸時代から今はスーパーやってる友達がいるんですけども、そこは昔から家族で代々なんで、生まれながらのサラブレッド、後継者がなるべくしてっていうものでしたけども、長く経営するっていうことの難しさっていうものも聞いたりしていたので、長期軸で取り組むってことは自分の中で初めてのトライでもありますし、経営者としてそれをやってみたいという気持ちがありました。

プロ経営者からいわゆる起業家へ、当社のシニアの労働市場を拡大するっていうことについて、まだまだ業界の中で当社は業界3位でありましたけども、今現在は1位になっておりまして。我々の会社はまだまだ伸びるし、この会社の同業他社の事業再編にも取り組みたいという思いにもなってました。

で、✕承継というのは事業承継という社会大義なんですけど、TOKYOファンドにとってみると、本当の事業承継っていうのは踏襲してTOKYOファンドが入って、TOKYOファンドの後にまたエグジットして、後継者は二回の事業承継によって本当の意味での事業承継がなされると思いましたので、そこにも携わって東京都に恩返しができればなというふうに感じてました。

会社名、先ほども少し被りましたけども。自分が少し途中で始めていたことっていうのは、株主が変わってしまうと多分できなくなってしまうので、前オーナーの想いを継承した形でパーバスの実現であったり、先程のコミュニティセンター趣味の会っていうものでスタッフ達に提供していきたいことがあったということです。

パーパス

中川 弘規氏:これがパーバスですけども『シニアが共生する絆でマンションに快適な住環境を提供』 。

1行目は働く人材という当社のダブル顧客の一つ、商品でもあるスタッフさん、2行目はお客様である管理会社、マンション。3行目と4行目が当社オリジナルで、定年ないし未来と健康長寿社会を創造し、日本を元気にする唯一の会社を目指しますと定義しました。

志の会という社員と共にやってきた中で、最後、私の方でかなり言語化に苦しみましたけど、最後なんとか全社員に結構喜んでもらえる言語に変えられたかなと思ってます。

社員

中川 弘規氏:MBOをする上で、最初に社員のことを考えると、株主交代、経営方針の転換ということで逆に不安がってる人もいるのは少し分かっていたので、いずれ中川社長いなくなっちゃうかもというような不安感というのを持っているのは感じていたので、逆に安心を与えたいなということ。

この愛着というのは、私自身がかなり社員達に対する思い、信用、信頼で、私自身も愛着を持っていたというのは、みんなと別れたくないなっていう、ちょっとウエットの部分ですけども、そういう思いもありました。あと、絶対にできないなと思っていたのは、私は上場会社と同じだけのベアをやるよと言ったり、ボーナスも決算賞与でずっと2021年から必ず予算達成して、どんどんどんどん右肩あがりになっていくので、社員達も3回目のボーナスを渡して積極的に社員還元するっていう経営をしていたので、これは株主変わってしまうとできなくなるっていうことで、社員達が働いて幸せでない会社とはしたくなかったんですね。

振り返ると、サラリーマン時代も自分が異動していくと、その前にいた組織が少し壊れていくことを自分の上司達、役員の人達に言われたことがあって、それはお前が悪いんじゃない訳じゃないんだけどもっていうので、一度作った先程の事業会社とか新しい事業とかもやっぱりずっと関わって滅んでほしくないっていう想いも過去の経験からありましたので。きっちりと継続したいという思いが働いていました。

顧客

中川 弘規氏:お客さん向けは、僕はどの会社でも一生どんなMBO、株主があっても一緒です。

経営戦略変わらずに顧客への価格帯っていうのと、人材の品質重視。これ当たり前に見えるかもしれないんですけど、価格帯も当社は今標準値ですけども、高いところも安いところもあるんですが、人材の品質だけは当社が一番クオリティリーダーというポジショニングをネーミングして、一番業界の中では品質いいと言われてるので、こういった戦略を維持することがお客さんが喜ぶだろうということですね。

いろんなオンリーワン、差別化戦略についても維持ができるのも私でないとできないというふうに当時の株主は思ってくれていたと思います。

銀行

中川 弘規氏:銀行さんですね。

商工中金さんと出会いがあってノンリコースローンの実現が叶いました。

ここの銀行さん実は当たってないです。

自分の先生から。

今顧問税理士ですけど、当時は昔から自分にとっての先生で天才な人とずっと知り合いだったので「中川さん、もしかしたらフルローンできるよ」って。

私がファイナンサーでもあったんで、自社がこの利益を買収するとなると、このぐらいの株価算定自分でできるのでこのぐらいになるし、当時このくらいで投資ファンドは投資してるから結構バリエーション出すと、今の株主を喜ばせるためにはこのぐらいの価格かかるし、こんなお金調達できないよという思いだったんですけど、先生の紹介で始まって、商工中金さんにとってみても、初めてフルファイナンスのリコースローン、この規模は初めてですという取り組みで、アニュアルレポートにも載ることになるんですけどもやっていただいて非常に感謝しかないですけども。

奇をてらうことは何もしてなくて、自分がやってきた3年間の経営、執行内容っていうのを懇切丁寧に。

会う人はもう銀行だと思って面談10回ぐらいしてると、毎回来る人がどんどんどんどん人が変わって人が増えていくんですね。

役職も本店も関わってきたりとか。毎回毎回ずっと担当者がいるんですけど、同じ話をしないでいろんな話を面白おかしくしてくれたと感謝していましたけども、当社ってこんな面白いビジネスなんです。

要は会社の実績、例えば利益とか3年で将来とかっていうのは数字で書けるんですけども、これがなぜ必要で差別化できていて、他ではできなくて、自分たちには勝てる未来があるんだっていうことを脈々といろんな角度で喋ってるんですけども、結構数字は厳し目に書きましたね。

バリュエーションする時に3つぐらいね。

いいバージョン、普通のバージョン、悪いバージョンって書きますけども、貸す側の気持ちを逆の目線で大体このぐらいでバリエーションして、このぐらいの価値で買収したいんだけども、銀行さんストレスかけるとこうなるでしょ。

もっとストレスかけてもいいですよ。

それでそれでも返せる目線で事業を伸ばせる自信とファンダメンタル、熱意と自信があったことがとにかく伝わったんじゃないのかなと思ってます。

銀行の皆様にも同じ気持ちになってもらえたというのは、最後は中川さんならもう本当にいくらでも貸しますよというふうに思ってもらいましたし、結果としてコベナンツっていうものがあるわけですよね。

ファンドが投資した時、もう1年ちょっとでコベナンツ外れてますし、実は私のフルファイナンスのローンのコベナンツも外れてるんですね。

なので多分バリュエーションで書いたストレス、自分のバリュエーションで書いた5年後の到達線に2年で到達しているので外れています。

かなりいろんな自由度というのが今ありますけども、そういう自信もありましたし、責任の重さはあるんですけど、覚悟は当然なんですけども、必ず全ステークホルダーが良かったと思ってもらえる取り決めなんですということをかなりロジカルに詳しくマクロも含め説明しましたね。

ニッチな業界なんであまり語れないんですけども、かなり細かく業界分析を常にしていたので必ずこういう未来がやってきたらこういう風に変化していきますよと。

思った以上に変化が激しいですね。

ニッチな業界をやるとこういう面白さがあるっていうのは前々から思ってはいたんですけど。

2023年就任4年目~2024年就任5年目

中川 弘規氏:就任4年目、MBA終わった後はパーパス実走1年目なのでそれを定着させて。

実感としては私が株主になったことで、社員のエネルギーとベクトルと運がさらに加速したような印象を受けました。

一枚岩がさらに元頑丈な岩になってスピードアップ、質が上がってきました。

新しく入ってくる中途社員の方もかなり最後、どんどんどんどんずっと同じ人がいたわけではなくて、なんとなくどんどん変わっていく会社で、結果として皆やりがいがあって楽しくて、実績を出せている人が半分以上残ってるんですけども、そうじゃない人が辞めていった時にも、当社は中小企業ってなかなか人が集まらないとよく言われるらしいんですが、うちはポストを開けると100人ぐらいポンとすぐ応募来るので、結構いい人を厳選して採って、いいメンバーが集まる会社にさらになりましたね。

2025年就任6年目

中川 弘規氏:就任6年目、25年、去年の10月以降ですけども、今2,200人ですけど、3年後には3,000人になるからプロジェクト3,000と。

執行役員制度を今期中にやるよということを宣言して、社員たちの底力と私がいなくても会社が回るようにしたいという思いで組織設計を新たに、社員の個の力の向上✕組織力の更なる向上、タテ✕ヨコ✕ナナメというご提案をして、プロジェクト3,000というプログラムを。私自身でこういうメンバーで6グループでやってね、みんな一つ上の役職目指してねみたいな、こういうことを始めて、いよいよビジョンで『存在を期待され、期待に応えられる会社を目指そう』という階段ですね。

さらにそこに向かおうという風土の醸成を今期駆け巡っておりますという状態です。

今日(現在)

中川 弘規氏:少し同じことを喋ってましたけども、生産性向上できる体制となったって、今振り返るとあれなんですけど6年間で売上、先程の2倍ちょっとになってますけども、社員の人数は同じだったんですね。

結果、皆さんならわかると思いますけども、結果、収益性はすごい上がってますよね。

原価がほぼ変わってないので。

6年間私はオリックスにいたり、営業上がりだったりと経歴でもっと数字に厳しいと思われてたんですけども、売上も社員達に書かせてそれを承認してみんなこのぐらいの目標は書いてくれるかなっていういいところをみんな書いてくるのでそれを承認して、達成しやすい目標というか、達成できるように日々エンジンのかけ方というか、経営の責任というか、プロセスしか評価しないよというようなことをよく私は言っていて、結果、そのプロセスに基づく行動の結果が産物、それでしか実績がないと思ってるので。

みんな同じベクトルで一体経営して5、6年前に日経向けの道しるべでしゃべってる時に、もうその大企業より中小企業が強い提案ができるってのはここなんですけども、もう遊びの人がいない状態を作って、全員筋肉質だと贅肉もないという状態で臨めたことですね、みんな苦手なことあるけど、私が得意なことやれ、苦手なことは人の力を借りるっていうので強みを生かせるスタイルでずっと今もやってますけども、皆さん楽しく仕事してくれて、日々活性化していってるなという現在です。資料としては以上となりますのでお戻しします。

堀江大介:中川さん、どうもありがとうございました。ここからQ&Aに入っていきたいと思います。最初にですね事前にいただいている質問がいくつかありますんで、そこの回答をしていただきます。追加の質問があれば随時書き込んでいただければと思います。

Q&A

堀江

私の方から質問をさせていただきます。

一つ目がプロ経営者からオーナー経営者になった後、意思決定のスピードに変化はありましたか?

特にコスト管理や投資判断の感覚の変化をお伺いしたいです。

また、今振り返ってファンド傘下で経営したからこそ得られたメリットがあれば教えてくださいということですが。

中川 弘規氏:変化はないですね。

変化はないというか、何か常にスピードが速いからなのか分からないですけども、変化はないです。

コスト管理、これも変わらないですね。

投資判断の感覚は少し変わったかもしれません。

ファンドさんいる時はこういう会社を買収してということで、投資することもファンドのミッションでもあったりするので、それに一緒になってっていうことで。

言うならば自分がやりたいことだけを選びに行くようになって、何でもかんでも投資検討することもなくなったので、投資判断はよりやりたいことを、自分がこれをやる意義とかそんなことをより突き詰めるようになってきましたかね。

ファンドで得られたメリットは特段ないですね。

変化がないです。

ある意味ファンドさん全面的にお任せいただいていたので、変化がないというのはそういう意味です。

堀江

ご質問者の一つの意図は、ご自身がオーナー株主である場合と、他の人が株主でプロ経営者の場合だとマインドは違うんじゃないかっていうことが背景にあったんじゃないかなと思うんですけど、中川さんはご自身が株主でない時にも自分が株主のごとくマインドセットを変えずにやってたから変化がないというんですかね。

中川 弘規氏:そうだと思います。

MBOをする時に昔から知ってる人に連結子会社の時ですけども、競合で最後に仲間になった相手なんですけども、中川さんってオーナーみたいな意思決定されますよねって言われたので、そういう意味ではサラリーマンの時からそんな感じだったんで、変わらないのかもしれません。

堀江

オーナーみたいな意思決定ってどんなことを指してたんですか。

中川 弘規氏:何でも自分事で他人に依存しないとか、絶対にこれをやり切るとか、結果が出せるとか、その結果を出すために、例えば千人の営業マンの協力を得なきゃいけないとか、あそこは逃げ腰だけど大丈夫できます、とか。

だからそこを動かすことに不安を感じてないわけじゃないけれども、やる気力ですね。

堀江

元々そういうマインドでやってたからということですね。

はい、わかりました。

次、MBOの際、投資会社との折衝やフルレバレッジを実現させた財務戦略についてお伺いしたいです。

また、LBOローンでの調達を決断した際、金融機関を説得するポイントは何でしたか?ということでプレゼンの中で重複しているところもあるかもしれませんが、いかがでしょうか。

中川 弘規氏自然体でいたので工夫をしてないですね。

一行しか当たってないので。

唯一は「あなたたちに一回お願いするから、私は他行さんには相談しない」って言いました。

「本当ですか」って言うので、私はそのビットをかけるとかそれをしないから、その代わりこの期間で前に進むのか進まないのかをやってくれというような形で。

その期限までに答えられないんだったら、僕は次はこの銀行に声をかけようと思ってるっていうプログラムはありましたけどもずっと期待に応えてくれたので、一行で話がつきました。

堀江

ありがとうございます。

ちょっと教えていただきたいんですけど、フルレバで個人が会社をファンドから買うっていうのは何でしょう。

なかなか現実的に難易度が高いというか、銀行さんからすると貸してくれないものなんですか?

それとも案件によっては難易度がそんなに高くないものか、どんな感覚ですか。

中川 弘規氏私の感覚ですか?

私は金融機関側としては感覚的になかったですね。

実現すると思ってなかったし、中金さんと取引ゼロだったんで、新規取引で初めての会社にフルローンするって、初回取引ってやっぱ皆さん引け腰になりますんで、よく頑張ってくださったなっていう思いでしかないです。

堀江

小野さん、このファイナンスの難易度、どんなもんですか?

小野俊法金融機関さん、ローンを出す金融機関さんってアップサイドがないわけですね。

もう金利取ってそれ以上はない。

一方でフルローンってことは買い手である中川さんにはアップサイドしかない。

銀行さんはアップサイドがない、リスクは銀行が全部負ってアップサイドは中川さんに渡すってことなので、普通であればおいしすぎるので当然やることはない。

普通だと個人保証を入れてねとか、普通だったらやらないんですけども、やはり中川さんの経歴というか、トラックレコードというか、やってきたこととか説明が、まあこの人はおいしい、本当は普通やる合理性はあんまりないんだけれども、中川さんだったら変なはしご外ししないだろうとか、その信頼できるというものがあったから出したものでしょうねって感じでしょうかね。

中川 弘規氏ありがとうございます。

小野俊法あなたが一億出したら、こっち五億ですけど、ゼロで六億ですか?みたいな話。金額は違いますけど、普通だったらないですよねと。

堀江

これは案件が良かったとしても、なかなかフルで貸してはくれないですか?

小野俊法合理性があんまり。

金融機関側からするとハイリスク、銀行からはローリターン、金利しか取れないんで、エクイティの私は出し手の方なんで私や中川さんからするとおいしいって話ですけども、そのおいしい話だけれども、変なことをしないだろうってことで。

個人保証を入れずに見たまま6億、金額は知らないですけれど、その金額だと個人保証を入れてもどうせ個人で返せるような金額じゃないから入れてもしょうがないよねってなるんですけれども、普通だったら銀行が何億出すのでその半分ぐらいは出して、どこかからお金持ってきなさいっていう話になるんですけど、それがなかったってのは非常に、普通だったらやらないことですよね。

堀江

ありがとうございます。

次は、平均年齢69歳の組織で、エンゲージメントと生産性を両立するために、特に意識したマネジメントの工夫はありますか?というご質問です。

中川 弘規氏そうですね。この69というのは、多分現場のスタッフですね。

内勤は当時は52歳、51歳、外勤が72歳だったんですけども、今は内勤は48歳で、外勤が69歳っていう組織なんですけども、関西の責任者の長は今72歳ですけど、5社目で人生で一番楽しいって。

70を超えて5社目で今も毎年昇給して生き生きと。

仕事大好き人間だからというよりはやっぱり仕組みとして喜んでもらえてるんだと思います。

やっぱり「ボーナス、本当に60後半だけどくれるの?」「70だけどくれるの?」「毎年毎年昇給していいの?」みたいな。

やっぱいつも面談していると喜ばれますし、70を超えても表彰される人たちみんな喜んでいると私も大いにパワーをもらうんですよね。

役職定年もないし今度70を超えた人を五月に昇格させようと思ってる話もあるんですけど、やる気ある人は最終就職の場としてはオアシスなのかなという気もしてます。

堀江

素敵ですね。ありがとうございます。

次、MBOを決断された背景についてお伺いさせてください。

当初からPEファンドのエグジット戦略としてMBOを視野に入れておられたのか、あるいは経営をやる中で自らオーナーシップ、オーナーとして長期経由で担うべきという確信に変わる決定的な瞬間があったのかということですが、これ改めていかがでしょうか。

中川 弘規氏少しさっき話してるんですけど、視野には入ってなかったです。

視野に入ると成長のブレーキをかけてしまうので、ファンドのコベナンツも一年半で外しているということは、ガンガン拡大戦略を執行していたんですね。

最後のこの決定的な瞬間は、自分がやりたいことが長期経営もあったんですけども、私でないとみんなに寂しい思いをさせてしまうっていう思いもありましたし、60歳までにオーナーになるって実は手帳に書いてたので、それがたまたま51歳でものすごい短期間化したので、50歳でファイナンスついたらやってみようって腹が固まったのがその時でしたね。トライしてみようと。

堀江

ありがとうございます。

この案件をファンドからオファーを受けた時に、この会社、ぜひやりたいなと思った判断基準を教えてくださいということです。

中川 弘規氏ファンドの社長との相性は大きかったと思います。

何て言うんでしょう。

自分とタイプが違いますし、この人信用できるなと思いましたし、そういった出会いでその方から逆に話を持ち込んでいただけたという。

持ち込んでもらえるものだと私は認識していないので、一つの案件あったらファンドを30人ぐらい面談して社長を選ぶと聞いていたので、お申し込みいただけたということですね。

あとは、先ほどご説明したシニア✕事業承継という大義を自分の中に目的化したっていうことですかね。

堀江

ありがとうございます。

プロ経営者に向いてる人、どういうポイントがあると思いますか?

中川 弘規氏あくまで私の考えなんですけど、全部で大きく言うと6、7点あるんですけども、一つは経営経験、もしくは会社という単位の組織マネジメントっていうのをオーナーシップ持ってやってるっていうのが一つまず経験としてあった方がいいなと思います。

二つ目に、人間力って言葉はよく本でもありますけど、すごく意識していて、むしろ人の痛みが分かった人間、私人間観察すごい好きなんですけども、やっぱり人の痛みを分かって、自分がされて嫌なことを人にしないというか、そういう温かさを持ってる人がやっぱり社員を率いることができるんじゃないかなという風に思ってますし、全ての失敗は自分の責任だって思える、社員のせいには絶対しないというか、そう思える人が大事だなっていうのが二つ目ですかね。

三つ目はファシリテーション能力✕バランス感覚っていうんですかね、コミュニケーション能力があって当たり前ですし、ロジカルシンキングできて当たり前なんですけども、方向性を導いてこうだっていう納得性を社員達に持たせる力っていうのはまた別の力だと思っていて。

そういうことができる人。

あとバランス感覚。

いろんな立場、企業をやっていく上でステークホルダーがいらっしゃるわけですけど、その全てのバランス感覚を持てて、当たり前の制約、コンプライアンス、構成的なことが、正義っていうものがこう定まってたり、片方でかたくなガチガチでなくて柔軟性があるというかね、そういったバランス感覚は大事だと思います。ゴールに必ず辿り着ける実行力とか、諦めない人っていうのがありますね。

業界経験というのは私は不要だと思っていて、何でもできると思えるのが、本来は経営の第一、プロ経営者としての大事なところだと思います。

ストレスに強くてっていうのもやっぱりとにかく大事だと思います。

最後に、明るく楽しく前向きに、新しいことにチャレンジするタイプがより、より成功しやすいんじゃないかと。っていうところでしょうか。

堀江

ありがとうございます。

今3つあらたに質問来てるんですけど、お時間少し大丈夫そうですか。

9時過ぎてますんでお時間難しい方は出ていただいて結構ですんでよろしくお願いします。

次ですね。

社長室、横串部署の設立のお話がありました。

これはどのような背景から設立したのか、そしてどんな効果があったのか、誰をメンバーにアサインしたかなどエピソードあれば教えてください。

中川 弘規氏当時いろんな部門があっても他部門が何をやってるか分かってない会社だなと思ったんで。

横、他人に関心を持ってもらうためには、社長室に各部門から部門のエース級を社長室、例えば戦略企画とか社長室の中に広報とか、そういうのがあるんですけども、社長室で経営企画、戦略企画っていうことの議題の会議体を作って、そこに集まってディスカッションする人を各部門で将来の幹部候補を集めてディスカッションして、この部分はこういうことやっていて、こういう課題があっていてっていうのを横で刺しにいくようなことをやりました。

横串は他部署がやっていることの関心と全体目線、要は目線を全部見に行くという目線の引き上げができたことですかね。

大会社にいるとタコツボというか縦の組織の壁って必ずできてくると思うんですけど、私にとって見ると全部ないので高い景色で全部一緒よっていう風にものを見れるようなことを常にやれる仲間を作ったと思います。

堀江

ありがとうございます。

次の引き継ぎが短期間だったとのことですが、前代表が不在でも事業自体は自走していたのでしょうか?という質問です。

中川 弘規氏そういう意味で言うと、私が就任した時はコロナで前社長はちょっとミスリードして休業しているので自走しているというよりは休業しちゃっているので、最初の二か月は売上ないんですよね。

とんでもないスタートだったんですけどね。

ただ、再生ビジネスの経験もあったので「中川社長、そういうの好きでしょ?私が教えなくても捉えてますよね」っていう感じでいなくなられましたね。

事業自体はそういう意味ではベストではないですけども、流れる仕組みがあったけれども、あるべき姿とか定義ではなくて、例えば私は皆に各部門一流目指そうぜって意味で言えば三流五流ぐらいだったと思います。

堀江

引き継ぎ時に苦労したことや、既存メンバーから反発など何か問題ありませんでしたか?

中川 弘規氏反発はなかった、ある人は勝手にいなくなりましたね。私と戦っても多分、って感じで戦う人がいなかったですね。皆さん自主的に。私は退職に導いたことはいまだにないので。

堀江

ありがとうございます。

最後の質問ですね。

社長就任前は組織の生産性向上の意識はかなり低かった印象でしょうか?

中川 弘規氏意識は低いというか、無いんだと思います。

堀江

そこから改善の方向にうまくいった時の印象的なエピソードとか、社員の何か考えが変わっていったきっかけとかこの辺を教えていただけませんでしょうか。

中川 弘規氏会議体を常にやっているのと。

何かちょっと小さなこと、年間200日稼働だとすると、1,200日ぐらい稼働しているんでしょうか。

線は変わったと思います。

色んな小さなことを変えていく面白さが事業会社にはあるし、変わることに対して要はアレルギーをなくしていった日々でしたんで、そういう風土に変わったんだと思います。

堀江

これで大方質問、回答できました。

中川さん、本当に夜遅くまでありがとうございました。

非常にリアルで中川さんにしかない経験があって学びが多かったです。

ありがとうございます。

小野さん大丈夫そうですかね。

小野俊法:大丈夫ですよ。また今度詳しく聞かせていただきます。

堀江

日本プロ経営者協会、このような形で情報発信、色々やってますんで、ふfacebookコミュニティですね。

日本プロ経営者協会を調べて、中川さんのような素敵なプロ経営者の方のお話が聞けますので、ぜひご登録してください。

中川さんも今日は本当にお忙しいところ、どうもありがとうございました。

中川 弘規氏ありがとうございました。

堀江

皆様ありがとうございました。

これで抜けていただいて結構です。

どうもありがとうございました。

では皆さんもご退出ください。

小野俊法本当にその個人の実力があるとすればって言うんですかね、フルローンっていうのは例えば私だったら結構出してくれると言っていただいている投資家さんや銀行さんがあるので、それを使っていろいろなビジネスもこれからもマラトンのグループでやろうかなとか思ったりしてるところですかね。

堀江

ありがとうございました。

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