堀江大介:一般社団法人 日本プロ経営者協会(JPCA)は、日本に多くのプロ経営者が生まれ、活躍するためのエコシステムを創出し、活力あふれる日本をつくることを目指して設立されました。
日本では、年功序列やジョブローテーションの構造上、「経営者になるまでの筋道」や「経営の機会」に若い世代がアクセスしづらいのが現実です。
一方で、超高齢化に伴う事業承継問題は深刻化しており、優良な中小企業ほど、意欲と実行力を備えた”経営人材”を求めています。
JPCAでは、こうしたギャップを埋めるべく、プロ経営者の働き方やキャリアの具体像を、実例とともに発信しています。
今回の連続企画ウェビナー「プロ経営者のリアル」では、2026年3月19日(木)に「プロ経営者のリアル ~プロ経営者からオーナー経営者の道のり~」を開催しました。
ゲストとしてお迎えしたのは、株式会社コミュニティセンター 代表取締役の中川弘規氏。
オリックスにてM&Aや10社のPMI主導、子会社経営を歴任後、2020年に同社代表に就任。2023年にはLBOローンによるMBOを完遂し、プロ経営者からオーナー経営者への転身を遂げた、”圧倒的な実戦経験”を持つ経営者です。
本ウェビナーでは、中川氏の実体験をもとに、「プロ経営者からオーナー経営者」の道のりのリアルを紹介いたします。では、中川さんよろしくお願いします。
中川 弘規氏:中川弘規です。
本日はこのような機会をいただき、ありがとうございます。
皆さまにとって少しでも参考になるお話ができればと思っております。
私は現在54歳ですが、48歳まではサラリーマンとして働いていました。
転機となったのは、リクルートグループの社長を務めていた先輩から「プロ経営者の道に行くなら、48歳までに会社を卒業しなよ」とアドバイスをいただいたことです。
その後、プロ経営者からオーナー経営者という立場になりました。
当初から目指していたわけではありませんが、この6年間で大きく環境が変化しました。
本日は、この6年についてご紹介させていただきながら、日本における事業承継という意義ある取り組みについてお話しできればと思います。よろしくお願いいたします。
登壇者のご紹介

中川 弘規氏:自己紹介をさせていただきます。
社会人として最初の2年半は損害保険会社に勤務していました。
その後、金融自由化の流れもあり、将来経営者を目指すのであれば、より幅広い経営経験が必要だと考え、ご縁があってオリックスへ入社しました。
20代は主に営業を担当し、大企業向けの業務に携わりました。
また、新規事業の立ち上げにも関わり、事業部門の立ち上げを経験しました。
30代半ばには、「経営者の近くで学びたい」という思いから、オリックスの社長室を目指しました。
当時の社長のもとで学びたいと考え、27歳の時に手帳に目標を書き、MBA取得なども含めて経験を積んできました。
そして35歳で社長室への異動が実現しました。
その頃はちょうどリーマンショック前後の時期で、多くの戦略投資(ハンズオン・PMI)に携わりました。
非常に忙しい環境で体調を壊す先輩もたくさんいましたので、その分、汗をかいてたくさんの経験を積むことができたと感じています。
上場会社の買収案件、上場廃止を伴うディールから始まり、自己勘定投資としてのM&Aの私の“デビュー戦”でした。
その案件では、その先に上場会社が3社と、年商10億〜20億円規模の中堅企業が複数存在していました。
株主経営を30代で学んで、40代は事業会社の経営に近いことをさせてもらえたので、会社の経営と、あとは現場のマネジメントと、社員の気持ちも掴みながらという気持ちで、オーナーシップを持った意識、自分で意思決定をするつもりで47歳までの間は過ごしてました。
振り返ってみると、当時から「自分が社長だったら」「自分がオーナーだったら」という視点で仕事に向き合っていたように思います。
もちろん当時はそこまで意識していたわけではありませんが、一つひとつの経験が、今の主軸につながっていると感じています。
全部の執行をできるという感覚になっていたのも、プロ経営者になった時のスタートとしては良かったかなと思います。
2019年に、東京都の事業承継ファンドを運営するPEの代表者から、「コミュニティセンターの社長をやらないか」というお話をいただきました。
当時はほかにも、外資系大手ファンドでのチーム経営執行や、上場企業の執行役員、小規模企業の代表など、さまざまな選択肢がありました。
その中で私が選んだのが、自分自身で全て執行できるこの規模の会社でした。
当時のコミュニティセンターは、社内スタッフが約70名、現場スタッフが約950名ほどで、マンション管理人代行業界では第3位の企業でした。
創業者である70歳の社長が引退を考えており、その後任として声をかけていただきました。
この話を引き受けようと思った理由は、シニアビジネス、そして事業承継という、日本社会における二つの大きな大義を感じたからです。
さまざまな選択肢がある中で、この挑戦を引き受けることを決めました。
2020年1月1日に、その年の目標として手帳に記し、同年5月に社長へ就任しました。
その後、3年を経てLBOローンの調達を実現し、マネジメント・バイアウト(MBO)を実施。現在は、プロ経営者から株主・オーナー経営者となりました。
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2020年就任1年目(5カ月間100日)

中川 弘規氏:2020年5月に社長へ就任しました。
9月決算なので、就任1期目は約5か月ほどでした。
よく「100日プラン」と言われますが、当時取り組んだことを振り返ると、まず5月から6月にかけて、内勤社員全員と面談を行いました。
目的は、社員一人ひとりが前向きに働けているか、どんな課題を抱えているかを把握することでした。
また、社内の人間関係や、本人の仕事に対する考え方・実力も見えてきます。
30分程度の方もいれば、1時間ほど話した方もいました。「これをやりたい」と前向きに話す人もいれば、悩みや不満を話す人もいて、さまざまでした。
とにかく全員と丁寧に面談を行い、会社の現状や社員の状態を把握していきました。
その後、全部門の会議体を整備していきました。
当時は、部門横断で連携する仕組みが十分ではないと感じたため、社長室を設立し、組織横断で連携できる体制づくりを進めました。
また、当時の部長や役員だけでなく、主任や課長クラスも積極的に登用し、議題やケーススタディーに取り組んでもらいました。
そうした中で、論理的思考力や課題解決力を見ながら、誰を組織の中心にしていくかを考えていきました。
当時は、会社としてのミッションや目指す姿も明確に整理されている状態ではありませんでした。
そのため、各組織の役割や、会社としてどこを目指すのかを改めて整理していきました。
当社には、スタッフの採用・研修を担う部門、営業部門、現場対応を行う指導員、そして広報・人事・総務・経理などの間接部門があります。また、関西支店も含め、さまざまな組織で構成されています。
また、コンシェルジュ部隊や、新規事業を進める事業部もありました。
全ての会議体を設定し、各部門の会議に隔週で参加する体制をつくりました。
会議では、私自身が仕切るというよりも、それぞれの部門が「あるべき姿」に向かって進めているかを確認していました。
1回50分の会議を月2回行い、最後の5分ほどで私がコメントを伝えながら、一歩ずつ前進できるよう取り組んできました。
これは、ケーススタディーなどを通じて、やる気のある課長・部長陣や新しく登用したメンバーを中心に進めていった取り組みです。
「ビジョン・ミッション・バリューを一緒に考えてみよう」という研修プログラムを自ら組み、行動指針とは何か、GEバリューなど他社ではどのように定めているのかを教えながら進めていきました。
その中で、「この会社に本当に必要なことは何か」を問いかけながら議論を重ね、最終的に現在ホームページにも掲載している「CCバリュー」を言語化しました。
また、こうした方向性づくりとあわせて、人事評価制度や給与テーブルについても大きく変更していきました。
当時は、60歳を迎えると61歳から嘱託社員となり、賞与がなくなったり、基本給が3割程度下がる制度になっていました。
そこで制度を見直し、嘱託後も社員と同様に賞与を支給すること、そして基本給を下げない仕組みに変更しました。
また、70歳以降は内勤社員でも業務委託へ切り替わる制度でしたが、75歳までは社会保険を支払うことができるので、社員として働き続けられる形へ変更しました。
これが就任1年目に取り組んだ内容です。
2021年就任2年目

中川 弘規氏:2年目に入った10月以降は、SWOT分析に取り組みました。
当時は、自社ホームページも十分に整備されておらず、パンフレットもない状態でした。
また、人材ビジネスとしての自社の強みや弱みについても、社内で十分に整理・共有できていませんでした。
そこで、私自身もお客様先に足を運びながら、同業他社の調査も進め、マーケティングの基本的な考え方を社内に取り入れていきました。
社員にも理解を深めてもらいながら、「自分たちの強みは何か」「足りない部分はどこか」を一緒に整理し、それを対外的に発信していく取り組みを始めました。
自社のホームページを見ていると、以前から毎月発行していた「コミュニティセンター便り」は大きな財産だと感じていました。
自社の強みや取り組みも発信するようにしました。それと並行して、社内の仕組みについてもどんどん変えていきました。
入社した社員からは、「まるでベンチャー企業に入ったようだ」という声もありました。
当時、会社としては27期目を迎えていましたが、日々さまざまなことが変化していく時期だったと思います。
また、システム、DX投資も始めました。
「サンクスポイント」は、CCバリューを社内に浸透させるために始めた取り組みです。
毎月、「今月はこれを意識して行動する」というテーマを設定し、それぞれの実行内容を共有、社員同士で評価し、ポイントを送り合う仕組みをつくりました。
CCバリューやパーパスを毎月の行動に落とし込み、定着させていくことを目的としていました。
また、表彰制度も拡充しました。
社長賞や最優秀部門賞だけでなく、業務改善賞や部門別キャンペーン賞、KPI達成賞など、さまざまな表彰制度を設け、年1回で10種類ほどの表彰を行うようにしました。
2022年就任3年目

中川 弘規氏:3年目は「生産性」という言葉を使うようにしました。
各部門では、課題改善に向けた会議を月2回行っていました。
私はすべての会議に参加し、「ここは良い」「次はこれをやってみよう」といった形で、各部門にヒントを出しながら、一歩ずつ進んでいました。
また、日々思いついたことがあれば「これも考えてみよう」「あれもやってみよう」とすぐに提案し、次々と新しい取り組みを進めていきました。
その結果、半年後には、想像していた以上に各部門が大きく変化していく時期でした。
弱みだと感じていた部分も、全て強みに変えていきました。
同業他社と比較しても、自社ならではの強みが増えてきた手応えがあり、「オンリーワン」という言葉を掲げながら広報活動を進め、お客様やスタッフに向けたプロモーションも展開していました。
一方で、2022年は翌年に迎える30周年に向けた準備も進めていました。
そして、30周年のタイミングで「パーパス」を制定したいと考えていました。
当時、ご縁があって著名な名和高司さんから学ぶ機会があり、そこで得た考え方をもとに、自社でもパーパス制定に向けた研修プログラムをスタートしました。
「志の会」という取り組みを立ち上げ、社員と一緒にパーパスをつくる半年間のプログラムを実施。
各部門で、自社・顧客・社会に対してどのような価値を提供できるのか、また自社のコアコンピタンスは何かを議論しながら、自分たちの存在意義を確立していきました。
「輪の会」は、前オーナーから受け継いだ想いを形にした取り組みの一つです。
前オーナーは70歳で引退されましたが、「会社名らしいことができなかった」という話をされていました。
そこで、シニアの労働市場を拡大していく当社の存在意義とも重ね合わせながら、スタッフの皆さんが「働く」だけでなく、生きがいや、やりがいも持てる場をつくりたいと考えました。
その中で始めたのが「輪の会」です。
ゴルフ、カラオケ、ハイキングなど、さまざまな趣味のサークル活動を会社がマッチングし、参加したいスタッフ同士をつなぐ取り組みです。
現在ではスタッフ数は約2,200人規模にまで広がり、当初の倍以上の規模になっています。
「輪の会」をやることで、少しでも長く健康で働き続けていただきたいという思いで進めてきました。
スタッフの中には「健康長寿がふってくる」という言葉を使う方もおり、まさにその通りのことを実現したいという思いで、取り組んでいました。
MBO

私(株主)の大義

中川 弘規氏:当時、私が考えていたことの一つが、「短期経営から長期経営へのシフト」でした。
プロ経営者という立場では、2〜3年ごとに次の経営へ移っていくケースも多く、そうした先輩プロ経営者の話にも感覚的に腹落ちする部分がありました。
一方で、世の有名な経営者のかたの本にも大きな影響を受けました。
また、友人には江戸時代から続く家業を継ぎ、現在はスーパーを経営している人もいます。
代々経営を受け継いできた立場だからこその、長く経営を続ける難しさについて話を聞く機会もありました。
そうした経験を通じて、自分自身も長期的な視点で経営に取り組んでみたいという思いが強くなっていきました。
プロ経営者から、いわゆる企業家・オーナー経営者へと意識も変化していきました。
当社が取り組む「シニアの労働市場を拡大する」というテーマには、まだ大きな可能性があると感じていました。
当時、当社は業界3位でしたが、現在は業界1位となっています。
また、自社の成長だけでなく、今後は同業他社の事業再編にも取り組んでいきたいという思いも強くなっていきました。
「×承継(かけ算の承継)」というのは事業承継という社会大義です。
TOKYOファンドにとってみると、本当の事業承継は、まずTOKYOファンドが入って、その後にまた私がMBOでエグジットして、こうして二回の事業承継を経ることで本当の意味での事業承継がなされると思いましたし、そこに携わって東京都に恩返しができればという思いをもっていました。
私自身、社長就任後にさまざまな取り組みを始めていましたが、株主が変わることで続けられなくなる可能性もあると感じていました。
そのため、前オーナーの想いを継承した、パーパスの実現や、「コミュニティセンター趣味の会」のような取り組みを、スタッフの皆さまへ提供し続けたいという思いもありました。
パーパス

中川 弘規氏:これがパーパスです。
「志の会」で社員とパーパス策定を共にやってきた中で、私の方でかなり言語化に苦しみましたけど、最後はなんとか全社員に結構喜んでもらえる言語に変えられたかなと思ってます。
社員

中川 弘規氏:MBOを進める中で、まず考えたのは社員のことでした。
株主交代や経営方針の変化によって、不安を感じている社員がいることも理解していました。
また、「中川社長もいずれいなくなってしまうのではないか」と感じている社員もいたと思います。
だからこそ、MBOを通じて、社員に安心感を持ってもらいたいという思いがありました。
この愛着というのは、私自身が社員たちに対して強い思いや、信用・信頼を持っていたということです。
少しウェットな部分かもしれませんが、「みんなと別れたくないな」という気持ちもありました。
また、私は社員へ積極的に還元する経営をしていましたので、株主が変わることで、それができなくなってしまうのは絶対に避けたいと思っていました。
社員たちが働いて幸せを感じられない会社にはしたくなかったんです。
振り返ると、サラリーマン時代にも、自分が異動した後に、成長や成果が、少しずつ部門単位で崩れていくのを見たことがありました。
やはり自分が関わったものには長く続いてほしい、なくなってほしくないという思いがありました。
そうした過去の経験もあり、しっかり継続していきたいという気持ちが強く働いていました。
顧客

中川 弘規氏:経営戦略は変わらず、「質良く、価格は高くない」です。
これまで進めてきたオンリーワンや差別化戦略についても、維持できるのは私自身しかいないと、当時の株主にも感じていただいていたと思います。
銀行

中川 弘規氏:銀行については、税理士の紹介で商工中金さんとの出会いがあり、ノンリコースローンの実現につながりました。
特別なことをしたわけではなく、自分がこの3年間で取り組んできた経営や執行内容について、丁寧に説明していきました。
銀行の方とは10回ほど面談を重ねましたが、回を重ねるごとに参加される方が増え、本店の方や役職上位の方も関わるようになっていきました。
毎回担当者の方は同じでしたが、同じ話の繰り返しにならないよう、さまざまな角度からお話ししていました。
銀行の方からも「面白い話をたくさん聞かせてもらった」と言っていただきましたが、「当社はこんなに面白いビジネスなんです」ということを、しっかりお伝えしていきました。
会社の実績や利益、今後3年間の計画などは数字で書くことができます。
ただ、それだけではなく、「なぜこの事業が必要とされているのか」「なぜ差別化できているのか」「なぜ他社にはできず、自分たちには勝てる未来があるのか」ということを、さまざまな角度で話をし、数字についてはかなり厳しめに自ら設定していました。
バリュエーションでは、一般的に「良いバージョン」「標準バージョン」「厳しいバージョン」の3パターンを用意しますが、貸し手側の視点も意識していました。
「このくらいの価値で買収したいんだけども、銀行としてはこの程度のストレスを想定しますよね。もっと厳しくしても大丈夫です」といった形で、それでも返済できるだけの事業を伸ばせる自信と、ファンダメンタル、そして熱意があったことが最終的に伝わったのではないかと思っています。
自信もありましたし、もちろん責任の重さや覚悟は当然ありました。
この取り組みは、すべてのステークホルダーにとって良かったと思ってもらえる取り組みなんです、ということを、かなりロジカルに詳しくマクロも含めて説明しました。
ニッチな業界なので詳しくはお話しできませんが、業界分析はかなり細かく行っていました。
「今後必ずこういう未来が来て、こう変化していく」という見通しを持ちながら、話をしていました。(実際に、今、そうなっています。)
2023年就任4年目~2024年就任5年目

中川 弘規氏:就任4年目、MBO後はパーパス実践の1年目として、その定着に取り組みました。
実感としては、私自身が株主になったことで、社員のエネルギーやベクトル、運の流れまでもがさらに加速したように感じました。
一枚岩だった組織が、さらに強固になり、スピードも質も上がっていきました。
採用についても、より良い人材を厳選して採るようになり、さらに良いメンバーが集まる会社になっていったと思います。
2025年就任6年目

中川 弘規氏:就任6年目となる2025年は、「プロジェクト3,000」をスタートしました。現在スタッフ数は2,200名規模ですが、3年後に3,000名規模になることを予測して「プロジェクト3000」と名付けました。
また、今期中に執行役員制度を導入することも宣言しました。
社員一人ひとりの力をさらに高めるとともに、私がいなくても会社が回る組織にしたいという思いから、組織設計も新たにしました。
「個の力の向上 × 組織力の向上」、そして「タテ × ヨコ × ナナメ」の連携強化をゴールに掲げ、プロジェクト3,000を推進しています。
私がメンバーを6グループに分け、それぞれが一つ上の役職を目指しながら成長していくことを目的にしました。
ビジョンである「存在を期待され、期待に応えられる会社を目指そう」という段階です。 さらにビジョンに向かって行こうとする風土の醸成を、今期は特に力を入れて進めています。
今日(現在)

中川 弘規氏:生産性を向上できる体制をつくることができました。
振り返ると、この6年間で売上は2倍以上になりましたが、社員数は同じです。
結果的に生産性や収益性は大きく向上しています。
私はオリックス出身で、営業出身なので、「もっと数字に厳しいタイプだと思っていました」と言われることも多くありました。
ただ、売上目標については社員たち自身に考えて書いてもらい、それを承認する形にしています。
私はよく、「プロセスしか評価しない」と話しています。
プロセスに基づく行動の結果が産物であり、それでしか実績は生まれてこないと考えているからです。
みんなが同じベクトルを向いて、一体となって経営ができています。
5〜6年前に日経の取材で、大企業よりも中小企業の方が強くなれると話しています。
当社では、“遊んでいる人がいない状態”です。
全員が筋肉質な組織で、贅肉のない体制をつくることができました。
もちろん、誰にでも得意・不得意はあります。
ただ、私は「得意なことをやれ。苦手なことは周りの力を借りればいい」というスタイルで、一人ひとりの強みを生かせる組織づくりを今も続けています。
その結果、皆さんが楽しみながら仕事をしてくれていて、会社全体も日々活性化していると感じています。
Q&A
堀江中川さん、どうもありがとうございました。
ここからQ&Aに入っていきたいと思います。
最初に事前にいただいている質問がいくつかありますので、そちらの回答をしていただきます。
私の方から質問をさせていただきます。
一つ目がプロ経営者からオーナー経営者になった後、意思決定のスピードに変化はありましたか?
特にコスト管理や投資判断の感覚の変化をお伺いしたいです。
また、今振り返ってファンド傘下で経営したからこそ得られたメリットがあれば教えてくださいということですが
中川 弘規氏:変化はないですね。
変化はないというか、何か常にスピードが速いからなのか分からないですけども、変化はないです。
コスト管理、これも変わらないですね。
投資判断の感覚は少し変わったかもしれません。
投資判断はよりやりたいことを、自分がこれをやる意義とかそんなことをより突き詰めるようになってきましたかね。
メリットは特段ないですね。変化がないです。
ある意味ファンドさん全面的にお任せいただいていたので。



ご質問者の一つの意図は、ご自身がオーナー株主である場合と、他の人が株主でプロ経営者の場合だとマインドは違うんじゃないかっていうことが背景にあったんじゃないかなと思うんですけど、中川さんはご自身が株主でない時にも自分が株主のごとくマインドセットを変えずにやってたから変化がないというんですかね。
中川 弘規氏:そうだと思います。
MBOを検討しているときに、今も昔も私を知る仕事仲間に、中川さんって昔からオーナーみたいな意思決定されますよねって言われたので、そういう意味ではサラリーマンの時からそんな感じだったんで、変わらないのかもしれません。



オーナーみたいな意思決定ってどんなことを指してたんですか。
中川 弘規氏:何でも自分事で他人に依存しないとか、絶対にこれをやり切るとか、事業の結果にコミットするスタイルのことです。



元々そういうマインドでやってたからということですね。
次は、MBOの際、投資会社との折衝やフルレバレッジを実現させた財務戦略についてお伺いしたいです。
また、LBOローンでの調達を決断した際、金融機関を説得するポイントは何でしたか?ということでプレゼンの中で重複しているところもあるかもしれませんが、いかがでしょうか。
中川 弘規氏:自然体でいたので工夫をしてないですね。
一行しか当たってないので。
唯一は「あなたたちにお願いするから、私は他行さんには相談しない」って言いました。
「本当ですか」って言うので、私はそのビットをかけるとかそれをしないから、その代わりこの期間で前に進むのか進まないのかをやってくれというような形で。
その期限までに答えられないんだったら、僕は次はこの銀行に声をかけようと思ってるっていうプログラムはありましたけどもずっと期待に応えてくれたので、一行で話がつきました。



教えていただきたいんですけど、フルレバで個人が会社をファンドから買うっていうのは何でしょう?
なかなか現実的に難易度が高いというか、銀行さんからすると貸してくれないものなんですか?
それとも案件によっては難易度がそんなに高くないものか、どんな感覚ですか。
中川 弘規氏:私の感覚ですか?
私は金融機関側としては感覚的になかったですね。
実現すると思ってなかったし、商工中金さんと取引ゼロだったんで、新規取引で初めての会社にノンリコースでフルローンするって、初回取引ってやっぱ皆さん引け腰になりますんで、よく頑張ってくださったなっていう思いでしかないです。



小野さん、このファイナンスの難易度、どんなもんですか?
小野俊法:金融機関さん、ローンを出す金融機関さんってアップサイドがないわけですね。
もう金利取ってそれ以上はない。
一方でフルローンってことは買い手である中川さんにはアップサイドしかない。
銀行さんはアップサイドがない、リスクは銀行が全部負ってアップサイドは中川さんに渡すってことなので、普通であればおいしすぎるので当然やることはない。
普通だと個人保証を入れてねとか、普通だったらやらないんですけども、やはり中川さんの経歴というか、トラックレコードというか、やってきたこととか説明が、まあこの人はおいしい、本当は普通やる合理性はあんまりないんだけれども、中川さんだったら変なはしご外ししないだろうとか、その信頼できるというものがあったから出したものでしょうねって感じでしょうかね。
中川 弘規氏:ありがとうございます。
小野俊法:「あなたが1億出したら、こっちが5億出します」なら分かりますけど、「(自己資金)ゼロで6億ですか?」みたいな話。金額は違いますけど、普通だったらあり得ないですよね。



これは案件が良かったとしても、なかなかフルで貸してはくれないですか?
小野俊法:合理性があまり。
金融機関側からすると、これは「ハイリスク・ローリターン」なんですよね。銀行は金利しか取れないんで。逆に、エクイティ(出資)の出し手である私や中川さんからすると「おいしい話」なんですけど、それだけに変なことはしないだろうっていう信頼が前提にはあります。
ただ、個人保証を入れずにそのまま(仮に)6億だとして。その金額だと、個人保証を入れてもどうせ個人で返せるような金額じゃないから「入れてもしょうがないよね」って(銀行側が)なるんですけれど。
普通だったら、銀行が何億か出すのであれば「その半分ぐらいは他からお金を持ってきなさい(自己資金を用意しなさい)」という話になります。それが一切なかったというのは非常に、普通だったら絶対にやらないことですよね。



次は、平均年齢69歳の組織で、エンゲージメントと生産性を両立するために、特に意識したマネジメントの工夫はありますか?というご質問です。
中川 弘規氏:そうですね。この69歳というのは、多分現場のスタッフですね。
内勤は、当時は51歳、外勤が72歳だったんですけども、今は内勤は48歳で、外勤が69歳っていう組織なんですけども、関西支店の支店長は今73歳ですけど、5社目で、今が人生で一番楽しいと話されています。70歳を超えて5社目で毎年目標達成、組織の変化を体感され、生き生きとされています。
面談をしていると、皆さん本当に喜んでくださいますし、70歳を超えて表彰される方たちが嬉しそうにされている姿を見ると、私自身も大きなパワーをもらっています。
当社には役職定年もありませんし、今度は70歳を超えた方を5月に昇格させようという話もあります。
やる気のある方にとっては、最終就職の場として、ある意味“オアシス”のような会社になれているのかなとも感じています。



素敵ですね。
次は、MBOを決断された背景についてお伺いさせてください。
当初からPEファンドのエグジット戦略としてMBOを視野に入れておられたのか、あるいは経営をやる中で自らオーナーシップ、オーナーとして長期経営で担うべきという確信に変わる決定的な瞬間があったのかということですが、これ改めていかがでしょうか。
中川 弘規氏:視野には入ってなかったです。
視野に入ると成長のブレーキをかけてしまうので、ガンガン拡大戦略を執行していたんですね。
最後のこの決定的な瞬間は、自分がやりたいことが長期経営もあったんですけども、私でないとみんなに寂しい思いをさせてしまうっていう思いもありましたし、60歳までにオーナーになるって実は手帳に書いてたので、それがたまたま51歳でものすごい短期間化したので、50歳でファイナンスついたらやってみようって腹が固まったのがその時でしたね。トライしてみようと。



次は、この案件のオファーをファンドから受けた時に、この会社、ぜひやりたいなと思った判断基準を教えてください、というご質問です。
中川 弘規氏:ファンドの社長との相性は大きかったと思います。
この人信用できるなと思いましたし、そういった出会いでその方から逆に話を持ち込んでいただけたのと。
一つの案件あったらファンドは30人ぐらい面談して社長を選ぶと聞いていたので、出会いに感謝です。
あとは、先ほどご説明した、シニア✕事業承継という大義を自分の中に目的化したっていうことですかね。



プロ経営者に向いてる人、どういうポイントがあると思いますか?
中川 弘規氏:あくまで私の考えなんですけど、全部で大きく言うと6、7点あるんですけども、一つは経営経験、もしくは会社という単位の組織マネジメントっていうのをオーナーシップ持ってやってるっていうのが一つまず経験としてあった方がいいなと思います。
二つ目に、人間力って言葉はよく本でもありますけど、すごく意識していて、むしろ人の痛みが分かった人間、私人間観察がすごい好きなんですけども、やっぱり人の痛みを分かって、自分がされて嫌なことを人にしないというか、そういう温かさを持ってる人が社員を率いることができるんじゃないかなという風に思ってますし、全ての失敗は自分の責任だって思える、社員のせいには絶対しないというか、そう思える人が大事だなっていうのが二つ目ですかね。
三つ目はファシリテーション能力✕バランス感覚っていうんですかね、コミュニケーション能力があって当たり前ですし、ロジカルシンキングできて当たり前なんですけども、方向性を導いてこうだっていう納得性を社員達に持たせる力っていうのはまた別の力だと思っていて。そういうことができる人。あとバランス感覚。
いろんな立場、企業をやっていく上でステークホルダーがいらっしゃるわけですけど、その全てのバランス感覚を持てて、コンプライアンス、公正、正義、柔軟性がある、そういったバランス感覚は大事だと思います。ゴールに必ず辿り着ける実行力とか、諦めない人っていうのがありますね。
業界経験というのは、私は不要だと思っていて、何でもできると思えるのが、本来は経営の第一、プロ経営者としての大事なところだと思います。
ストレスに強くてっていうのもやっぱりとにかく大事だと思います。
最後に、明るく楽しく前向きに、新しいことにチャレンジするタイプがより、より成功しやすいんじゃないかと。っていうところでしょうか。



新たに3つ質問が来ています。
社長室、横串部署の設立のお話がありました。
これはどのような背景から設立したのか、そしてどんな効果があったのか、誰をメンバーにアサインしたかなどエピソードあれば教えてください、という質問です。
中川 弘規氏:当時はいろんな部門があっても、他部門が何をやっているのか分かっていない会社だなと感じていました。
そこで、横のつながりや他部署への関心を持ってもらうために、各部門からメンバーを集めて社長室の会議体に参加してもらうようにしました。社長室には経営企画や戦略企画、広報などの機能があり、その中でディスカッションを行う場をつくりました。
各部門の将来の幹部候補が集まり、「この部署ではこういうことをやっていて、こういう課題がある」と共有し合いながら、横串で組織をつないでいくような取り組みを進めました。
その結果、他部署への関心や、会社全体を俯瞰して見に行く目線の引き上げができたと思います。
大企業では、どうしてもタコツボというか、縦割りの組織の壁がでてくると思いますが、私にとって見ると全部壁はないので、全社最適で、ものを見れるようなことを、目指せる仲間を作ったと思います。



次の引き継ぎが短期間だったとのことですが、前代表が不在でも事業自体は自走していたのでしょうか?という質問です。
中川 弘規氏:そういう意味で言うと、私が就任した時はコロナで前社長はちょっとミスリードして休業しているので自走しているというよりは休業しちゃっているので、最初の二か月は売上ないんですよね。
とんでもないスタートだったんですけどね。
ただ、再生ビジネスの経験もあったので「中川社長、そういうの好きでしょ?私が教えなくても捉えてますよね」っていう感じでいなくなられましたね。
事業自体はベストではないですけども、流れる仕組みがあったけれども、あるべき姿はなかったです。



引き継ぎ時に苦労したことや、既存メンバーから反発など何か問題ありませんでしたか?
中川 弘規氏:反発はなかったです。



最後の質問です。
社長就任前は組織の生産性向上の意識はかなり低かった印象でしょうか?
中川 弘規氏:意識は低いというか、無かったと思います。



そこから改善の方向にうまくいった時の印象的なエピソードとか、社員の何か考えが変わっていったきっかけとかこの辺を教えていただけませんでしょうか。
中川 弘規氏:会議体を常にやっているのと、 色んな小さなことを変えていく面白さが事業会社にはあるし、変わることに対してアレルギーをなくしていった日々でしたんで、そういう風土に変わったんだと思います。



質疑応答は以上となります。
中川さん、夜遅くまで本当にありがとうございました。
非常にリアルで中川さんにしかない経験があって学びが多かったです。
中川 弘規氏:ありがとうございました。
以上









